地力戻し6、7日目。音ゲーに才能は存在するか
★16~をフォルダ周回しております。17までは完了した感じです。
指もスムーズに動くようになり、ミスが押し間違いなのか
認識しきれてないのかなど判別がつくようになってきました。
あとはイージーやノマゲでの特攻を★18~ で段階を経ていく作業になるかなと思います。
クリアの更新もそこそこあってモチベーションも維持できているので
5月に入る頃には★20のクリアランプを更新していけるようになっておきたい
未だに半分ほどしかイージーできていないので
以下タブーかつ答えのない話
音ゲーに才能は存在するか
才能というよりは「環境」と「どうすれば成長できるか気づけたかどうか」に尽きる。
まず、環境。こちらはどうにもならない部分とどうにか出来る部分があります。
出来るだけどうにかするしかないです。
お金とか時間とか場所とか身を置く状況だとか。
言ってたらきりがないので省きます。
時間は誰にでも平等に与えられるが
その限られた時間の中でどういった練習をしてきたか
俗にいう「質の高い練習」というもの
「これで十分」という範囲に留まると実力は横ばいか落ちていく
詳しくは上記の本に書いてある
「才能」というものを全否定しているので面白いです。
また、コンフォートゾーンから抜け出せたかどうかは大きいです
(下記の説明部分だけ見ればいいかなと思います)
例えば、いつも出来る曲、安定している曲をずっとプレイし続けてることは
コンフォートゾーンの中に居ます。
簡単な話、ストレスを感じる領域の曲群をプレイすればいいだけの話なんですね。
例えば、自分の力量を計る為にイージーで周回してみようとか
ハード安定しない曲をハードでやってみるとか
安定している曲はエクハ粘着を周回してみるとか
鳥とってない曲を鳥目指すとかMAX-目指してみるとか
県別取ってみようとか
苦手な曲をやってみようとか
まあ目標の立て方がいっぱいありますね
自ら負荷をかけ続けることができることこそ成長に繋がる
そこに気づけたかどうかが鍵となっています
意識の持ち方と行動の方針かなと
ただただ、この考え方っていうのは
「ゲーム」という枠であるからこそ
答えが人それぞれにあるんですよね
ゲームは楽しむものです
楽しくなければゲームじゃないです
成長を楽しむことができる人こそ
本当に才能があるのかもしれません
成長を感じられることが無くなった時に、楽しくなくなるのであれば
そこまでだったということなのではないでしょうか
いつだって限界を決めるのは自分です
ゲームにおける才能という言葉は
努力して行き着いたところから過去を振り返った時に
「自分はこのゲームを楽しむ才能があったんだな」
そういう言葉なんじゃないかなと思います
でも、成長しなくても楽しめるものもゲームなんです
僕も全白を達成したらBeatmaniaIIDXというゲームが
「成長しなくても楽しめるゲーム」
という領域に収める形となるかと予想しています。
ゲームセンターの文化、ゲームのシーンを支えていく一員としてね。